どことなく酒井敏也に似ているこのおじさん

彼もまた魅力的な人物だ。冷たい雨が今にも落ちてきそうな雲の色の午後、車を駐めて久々に間近でお顔を拝見。見れば見るほど酒井敏也に似ていると思う。調所広郷、近年少し名が知れてきたように思う。まだまだ、歴史の片隅に隠れたままの人物なのだろうけれど。

調所広郷の顔を見上げていて、なぜか田代幸のことを思い出した。もうひとつ別の物語だ。そのときは、まだ雨は落ちてはいなかったと思う。

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カミュはメモ書きを残した

「二人の女友達・・・二人とも大変症状が重い。しかし一人は神経を病んでおり、したがって、いつでも回復は可能である。もう一人は末期の結核であり、回復の見込みはまったくない。」彼の日記は創作のためのメモ書きだから、この一文は私の気分を重くする。彼がこの一文を書いたのは1935年の5月だ。

出不精の僕を引っ張り出してくれるのは、いつも彼・・・田原君だ。

今度はオペラに誘ってくれた。故あって、引き籠もりがちな僕を引っ張り出してくれるのは、今回も彼だ。彼自身がちょっと出演するのだと・・・理由をみつけてくれたのだ。社会にとって何の役にも立たない「プー生活」の僕を社会と繋いでくれる数少ないLINEのひとつだ。

高校生の頃。彼はドストエフスキーを読んでいた、「虐げられた人々」だった。無駄に長い前置きのロシア文学を、だ。感動して眠れないと感想を語っていた。周囲に他にドストエフスキーを実際に読んでいるヤツなどいなかったから、まして、彼は感動したと言ったから。そんなこと口には出さなかったけれど「彼は信用できるヤツなのだ」と高校生の僕は思った。ドストエフスキーが、吉本隆明が恥ずかしかった頃のお話だ。むかし話だ。

僕は無駄に長い前置きの小説が昔から好きなのだ。

結構な重症患者や

年長のみなさんが僕の進路をあけてくれること。僕の車いすに場所を譲ってくれること。どうしたことだ。ぼくはそんなに重篤な病人なのか。あるいはそう見られているのか。それはつらい。それは驚きだ。・・・などと思った。病院内でのできごとだ。

 

車いすから眺める風景は

その場面の背景や景色や小道具や・・そして登場人物たちは、これまでとは異なる不思議な雰囲気をもっている。僕が、それらの、彼らの視線を感じすぎているのかもしれないけれど。

出不精の僕を引っ張り出してくれるのは、いつも彼・・田原君だ。

今度はオペラに誘ってくれた。故あって、引き籠もりがちな僕を引っ張り出してくれるのは、今回も彼だ。彼自身がちょっと出演するのだと・・・理由をみつけてくれたのだ。社会にとって何の役にも立たない「プー生活」の僕を社会と繋いでくれる数少ないLINEのひとつだ。

高校生の頃。彼はドストエフスキーを読んでいた、「虐げられた人々」だった。無駄に長い前置きのロシア文学を、だ。感動して眠れないと感想を語っていた。周囲に他にドストエフスキーを実際に読んでいるヤツなどいなかったから、まして、彼は感動したと言ったから。そんなこと口には出さなかったけれど「彼は信用できるヤツなのだ」と高校生の僕は思った。ドストエフスキーが、吉本隆明が恥ずかしかった頃のお話だ。むかし話だ。

僕は無駄に長い前置きの小説が昔から好きなのだ。

島君はときどき、いいことを言う

いつもは、ふざけた野郎だけれども。

下山の途中でツァラトゥストラは森の隠者とすれ違う。別れたあとで彼はつぶやくのだ「あの聖者は、もう神が死んだということを知らないのか」と。

島君はツァラトゥストラと似ているのだ。顔も似ているような気がする。僕はツァラトゥストラを見たことはないのだけれど。