東大コンプレックス

僕らはいつのころからか「東大コンプレックス」という言葉をもうひとつ別の意味で使ってきた。その意味とはこうだ。「「俺は東京大学を出ているんだぞ。こんな仕事ができるかよ。おまえらみたいなわけのわからないできの悪い大学の卒業生と同じ扱いをするな。」」つまりせっかく東大を出たのに報われなかった人々のことを。いつまでも東大出ということだけしか頼みにできないかわいそうな人々についてその頭の中のしこりについて使ったのだった。

でも危険な言葉ではあったわけで。僕らは隠れたところでだけその言葉を小声で使った。状況は変わっている。東大を出たからそれがなに?というしごく当然の価値観が世の中に育ったからだ。東大はえらい。東大を出たことを攻められることはない。けれどそれはそれだけのことなのだ。・・と僕はそれを整理していた。

ところが「東大コンプレックス」は思わぬ所に隠れてしっかりと育っていた。地方の国立大学の教授と話した。彼の言い分はこうだ。自分が優遇されないのは東大が悪い。あいつらまともな論理も持っていないくせに。俺よりも優遇されている。大体東大の学者の考えることなんかお役所的で内容がないのだ。その点俺はちがう。なんたったって○大の教授なのだから。・・・悔しげな報われないオーラが彼の周囲に満ち、声が大きく決して論理的ではない言葉が、むしろ破綻した理屈が大声になって店中に響いていた。

何が悪いのでもない。彼は優秀な男なのだ。だったのだ。

彼は叫んでいた。地球温暖化は事実だ。俺は250年間の気象庁発表の気温の上昇記録をみたのだ。だって俺は教授だから、正しい。優しい顔の飲み屋の主が、優しくつっこんだ。「200年前に気象庁あったんスか」そうだ。彼の方が絶対に正しい。江戸時代に気温を測る道具はない。そのころエジソンも生まれていない。夢見る少年トーマスマンも生まれていない。ナポレオンは活躍していた。けれどまもなくライプチヒの戦いやワーテルローの戦いで辛酸をなめるのだけれど。まあそんなことは関係ない。彼の頭の中に広がっている世界では200年前にはすでに、アイホーン片手に気温を測りながら歩く人々が楽しげに生活しているのかも知れない。僕はそんなのどかな風景を思った。平和な景色を思った。

長くなった。少しお酒が苦かった。

200年間の気温の記録など存在していないのだ。今で言う気温という考え方がなかったのだから。科学者を名乗る人々の資料はまず疑って見る方がいい。都合のいい資料だけを厳選していることが多いのだ。彼らは決して科学的ではないのだ。全ての学者が、あるいは科学者がそうだとは言わないけれども。

 

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