どことなく酒井敏也に似ているこのおじさん

彼もまた魅力的な人物だ。冷たい雨が今にも落ちてきそうな雲の色の午後、車を駐めて久々に間近でお顔を拝見。見れば見るほど酒井敏也に似ていると思う。調所広郷、近年少し名が知れてきたように思う。まだまだ、歴史の片隅に隠れたままの人物なのだろうけれど。

調所広郷の顔を見上げていて、なぜか田代幸のことを思い出した。もうひとつ別の物語だ。そのときは、まだ雨は落ちてはいなかったと思う。

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出不精の僕を引っ張り出してくれるのは、いつも彼・・・田原君だ。

今度はオペラに誘ってくれた。故あって、引き籠もりがちな僕を引っ張り出してくれるのは、今回も彼だ。彼自身がちょっと出演するのだと・・・理由をみつけてくれたのだ。社会にとって何の役にも立たない「プー生活」の僕を社会と繋いでくれる数少ないLINEのひとつだ。

高校生の頃。彼はドストエフスキーを読んでいた、「虐げられた人々」だった。無駄に長い前置きのロシア文学を、だ。感動して眠れないと感想を語っていた。周囲に他にドストエフスキーを実際に読んでいるヤツなどいなかったから、まして、彼は感動したと言ったから。そんなこと口には出さなかったけれど「彼は信用できるヤツなのだ」と高校生の僕は思った。ドストエフスキーが、吉本隆明が恥ずかしかった頃のお話だ。むかし話だ。

僕は無駄に長い前置きの小説が昔から好きなのだ。

結構な重症患者や

年長のみなさんが僕の進路をあけてくれること。僕の車いすに場所を譲ってくれること。どうしたことだ。ぼくはそんなに重篤な病人なのか。あるいはそう見られているのか。それはつらい。それは驚きだ。・・・などと思った。病院内でのできごとだ。

 

車いすから眺める風景は

その場面の背景や景色や小道具や・・そして登場人物たちは、これまでとは異なる不思議な雰囲気をもっている。僕が、それらの、彼らの視線を感じすぎているのかもしれないけれど。

出不精の僕を引っ張り出してくれるのは、いつも彼・・田原君だ。

今度はオペラに誘ってくれた。故あって、引き籠もりがちな僕を引っ張り出してくれるのは、今回も彼だ。彼自身がちょっと出演するのだと・・・理由をみつけてくれたのだ。社会にとって何の役にも立たない「プー生活」の僕を社会と繋いでくれる数少ないLINEのひとつだ。

高校生の頃。彼はドストエフスキーを読んでいた、「虐げられた人々」だった。無駄に長い前置きのロシア文学を、だ。感動して眠れないと感想を語っていた。周囲に他にドストエフスキーを実際に読んでいるヤツなどいなかったから、まして、彼は感動したと言ったから。そんなこと口には出さなかったけれど「彼は信用できるヤツなのだ」と高校生の僕は思った。ドストエフスキーが、吉本隆明が恥ずかしかった頃のお話だ。むかし話だ。

僕は無駄に長い前置きの小説が昔から好きなのだ。

島君はときどき、いいことを言う

いつもは、ふざけた野郎だけれども。

下山の途中でツァラトゥストラは森の隠者とすれ違う。別れたあとで彼はつぶやくのだ「あの聖者は、もう神が死んだということを知らないのか」と。

島君はツァラトゥストラと似ているのだ。顔も似ているような気がする。僕はツァラトゥストラを見たことはないのだけれど。

すでに唐十郎は伝説の人物で

その伝説は生きて目の前を走り回っていた。寺山修司はテレビで競馬解説をする訛りのきつい目つきの鋭いおじさんとみえていた。

新宿の駅前、草原にたてられたテントの中で、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたまま。根津甚八を見た。あれはきっと根津甚八だったと思う。その芝居の最後、テントの天井は開けられ、根津甚八は空へ飛んでいった。紅テントの芝居を見ている。そのことが僕を満足させていた。中身はさっぱりわからなかった。見ていることがかっこよかったのだ。状況劇場と天井桟敷の芝居は僕の中で、見ていることが重要だった。仲間と熱く語る、そのことがうれしかった。

彼の死もまた若すぎる。