電車に乗ることにもまだ慣れてはいない頃だ

高校生は喫茶店に入ってはいけない時代だったから、そもそも僕らの町には喫茶店なんて数えることができるくらいしかなかった。つまり故郷では喫茶店に入ったことがなかったのだ。けれど東京での僕らは大学生だった。

その日は、渋谷から表参道に向かって歩いた。その頃の表参道は今のそれとは違ったけれど、それでも彼女がみつけてきたその店は小洒落た店で、僕らはそこで美味しいとも感じてはいなかったコーヒーを飲んだ。そしてはじめてチーズケーキを食べた。それはまるで石鹸のような味で・・・東京の味がした。僕と彼女が目指してきたチーズケーキはちょっとレベルが高かった。その店がまだあるのかどうかわからない。僕は30年以上の東京での暮らしで、その後二度と入店しなかったのだ。どこの何という店かすら覚えてはいない。

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いつも自分の足で歩いていた町並みをgoogleマップで歩いた。

昭和50年代初期・・昭和50年には僕はあの町に棲んでいた。けれども時の流れとは残酷なものだ。僕の記憶のほんのヒトカケラすらそこにはもうない。なかった。驚いたという言葉すら適切ではない。東京・・大田区・・大森・・変わったというには大きすぎる変化だ。山田さんはどうしただろう。芳賀さんはどこへ行ってしまったのだろう。加藤君は、井上君は元気にしているだろうか。

むかしむかしの物語だ。

あれは大口さんだ。

大井町の雀荘のマスターの名前だ。思い出そうとして思い出せないことがある。最近は多すぎる気もする。僕は大口さんのことを、ではなく。小森のことを書きたかったのだ。しかし、小森のことは、なかなか書き出せずにいる。呼び出すこともできない。

クリスマスの約束のナレーションが斉藤由貴ではなかった。

僕は斉藤由貴のナレーションが好きだったのだ。第一回目からずっと彼女だったのに。クリスマスの約束は好きな番組だったのに。理由なんかはっきりしている、彼女の声は僕の好みなのだ。顔もだ。小田和正なら大人の事情などすっ飛ばせる力を持っていると思っていたのに。彼も大したことはなかったということだ。

熊木杏里が出演したことは評価できる。彼女の歌を僕は好きなのだ。顔もだ。小田和正も歳をとったものだ。僕は彼の歌を聞きたいのだ。ゲストの歌などどうでもいい。彼が若手を育てている、若手を評価している、若手とつきあっている・・そんな姿をみせてくれる必要はない。そう思う。

初期のこの番組は、ずっとそうだったけれど、彼ひとりで歌っていたわけで・・・その空気がとてもよかったのに。しゃべりの上手でない彼はメモを見ながらしゃべっていたし。自虐的に傲慢だっだし。とてもよかったとても・・だ。

結局はすべてを見るわけだけれど・・・嫌いのではないけれど。クリスマスの約束、来年も楽しみだ。

昭和50年だったのか49年だったのか定かではないけれど

クリスマスイヴの夜、小森と僕は新宿東口を歩いていた。僕らがちょうど二幸ビルの前あたりを歩いていたとき、雪が舞い始めた。その頃はまだアルタはなかったのだ。僕は同郷の女の子に帰省の切符を譲り、なぜかその場面に同席した小森が付き合ってくれていたように記憶している。寒くてお金もなくて、ただふたりとも国鉄の定期券だけは持っていたから、僕は大森まで帰ったのだ。もしかしたら、小森の下宿のあった大井町に寄ったかも知れない。

なんのことはない。昨日、クリスマスイヴ。あの二幸ビル前の雪の落ちてくる空の色を、あの風景を思い出した。そんな話だ。

 

どことなく酒井敏也に似ているこのおじさん

彼もまた魅力的な人物だ。冷たい雨が今にも落ちてきそうな雲の色の午後、車を駐めて久々に間近でお顔を拝見。見れば見るほど酒井敏也に似ていると思う。調所広郷、近年少し名が知れてきたように思う。まだまだ、歴史の片隅に隠れたままの人物なのだろうけれど。

調所広郷の顔を見上げていて、なぜか田代幸のことを思い出した。もうひとつ別の物語だ。そのときは、まだ雨は落ちてはいなかったと思う。

出不精の僕を引っ張り出してくれるのは、いつも彼・・・田原君だ。

今度はオペラに誘ってくれた。故あって、引き籠もりがちな僕を引っ張り出してくれるのは、今回も彼だ。彼自身がちょっと出演するのだと・・・理由をみつけてくれたのだ。社会にとって何の役にも立たない「プー生活」の僕を社会と繋いでくれる数少ないLINEのひとつだ。

高校生の頃。彼はドストエフスキーを読んでいた、「虐げられた人々」だった。無駄に長い前置きのロシア文学を、だ。感動して眠れないと感想を語っていた。周囲に他にドストエフスキーを実際に読んでいるヤツなどいなかったから、まして、彼は感動したと言ったから。そんなこと口には出さなかったけれど「彼は信用できるヤツなのだ」と高校生の僕は思った。ドストエフスキーが、吉本隆明が恥ずかしかった頃のお話だ。むかし話だ。

僕は無駄に長い前置きの小説が昔から好きなのだ。