いつも自分の足で歩いていた町並みをgoogleマップで歩いた。

昭和50年代初期・・昭和50年には僕はあの町に棲んでいた。けれども時の流れとは残酷なものだ。僕の記憶のほんのヒトカケラすらそこにはもうない。なかった。驚いたという言葉すら適切ではない。東京・・大田区・・大森・・変わったというには大きすぎる変化だ。山田さんはどうしただろう。芳賀さんはどこへ行ってしまったのだろう。加藤君は、井上君は元気にしているだろうか。

むかしむかしの物語だ。

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出不精の僕を引っ張り出してくれるのは、いつも彼・・・田原君だ。

今度はオペラに誘ってくれた。故あって、引き籠もりがちな僕を引っ張り出してくれるのは、今回も彼だ。彼自身がちょっと出演するのだと・・・理由をみつけてくれたのだ。社会にとって何の役にも立たない「プー生活」の僕を社会と繋いでくれる数少ないLINEのひとつだ。

高校生の頃。彼はドストエフスキーを読んでいた、「虐げられた人々」だった。無駄に長い前置きのロシア文学を、だ。感動して眠れないと感想を語っていた。周囲に他にドストエフスキーを実際に読んでいるヤツなどいなかったから、まして、彼は感動したと言ったから。そんなこと口には出さなかったけれど「彼は信用できるヤツなのだ」と高校生の僕は思った。ドストエフスキーが、吉本隆明が恥ずかしかった頃のお話だ。むかし話だ。

僕は無駄に長い前置きの小説が昔から好きなのだ。

車いすから眺める風景は

その場面の背景や景色や小道具や・・そして登場人物たちは、これまでとは異なる不思議な雰囲気をもっている。僕が、それらの、彼らの視線を感じすぎているのかもしれないけれど。

あのとき新宿で

激辛のカレーを一緒に食べたのが誰だったのか。誰と誰と誰だったのかが思い出せない。インド人の店主が辛いのを食べるのはやめた方がいいとアドバイスしてくれたから、僕は甘めのカレーを注文したのだ。けれど彼は辛いカレーに挑戦したのだ。二口目は食べられなかった。その彼が誰だったのか。一緒にいた仲間が誰だったのか。そもそも仲間だったのか。友達だったのか。記憶がない。薄れているのではなく、欠落しているのだ。

だからどうしたと言われても困るのだけれど。

そのお姉さんは、○○の店内で品出しをしていた。僕は、わざわざその店にある商品を買いに出かけたのだ。この店のオリジナルの品で他では手に入らない。僕はすでに、その店でその品を2つ買い求めていて使い勝手がよいものだから、だからわざわざ出かけたのだった。2週間ほど前にこの店に寄ったときには、その品が展示の場所になかったのだ。そして、その日もその品はなかった。そこへ件の定員さんがカートを押して通りかかったわけだ。彼女はすぐに調べてくれて、注文することになると答えてくれた。そして実際に僕は注文した。その対応が的確で親切で心地よかった・・と記したかったのではない。確かに彼女の対応は的確で親切で心地よかったのだけれど。僕が書きたかったのは彼女が大変な美人だったということだ。間違いない。彼女は僕が過去2年間に会話したどの女定員さんより美人だ。美しい。

だからどうしたと言われても困るのだけれど。

島くんがタブレットをくれた

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島くんは僕のITの先生だ。彼は先端を生きている。僕は彼のおかげで、ネットのまねごとをしている。LINEというのは難しい。タブレットで文字を打つことがあんなに難しいとは思わなかった。みんなよくやれるものだと改めて時代の流れの速さに驚かされる。取り残され感を実感する。でもタブレットは難しいのだ。

キョウチクトウの香りだ。この香りが嫌いだと言った女の子のことを思い出す。この香りが大好きだと言った女学生のことを思い出す。

ガラ携の機種変で値段が安くなった。

 

オレは天才だから大丈夫のはずだ!

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桜木花道は自分を鼓舞するとき、自信がなくなりそうになったとき、そう叫ぶのだ。傷だらけの修理不可能のペンケースを眺めながら思う。僕は桜木花道と似ている。ただ違うところは彼には才能があることだ。