島君はときどき、いいことを言う

いつもは、ふざけた野郎だけれども。

下山の途中でツァラトゥストラは森の隠者とすれ違う。別れたあとで彼はつぶやくのだ「あの聖者は、もう神が死んだということを知らないのか」と。

島君はツァラトゥストラと似ているのだ。顔も似ているような気がする。僕はツァラトゥストラを見たことはないのだけれど。

すでに唐十郎は伝説の人物で

その伝説は生きて目の前を走り回っていた。寺山修司はテレビで競馬解説をする訛りのきつい目つきの鋭いおじさんとみえていた。

新宿の駅前、草原にたてられたテントの中で、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたまま。根津甚八を見た。あれはきっと根津甚八だったと思う。その芝居の最後、テントの天井は開けられ、根津甚八は空へ飛んでいった。紅テントの芝居を見ている。そのことが僕を満足させていた。中身はさっぱりわからなかった。見ていることがかっこよかったのだ。状況劇場と天井桟敷の芝居は僕の中で、見ていることが重要だった。仲間と熱く語る、そのことがうれしかった。

彼の死もまた若すぎる。

あのとき新宿で

激辛のカレーを一緒に食べたのが誰だったのか。誰と誰と誰だったのかが思い出せない。インド人の店主が辛いのを食べるのはやめた方がいいとアドバイスしてくれたから、僕は甘めのカレーを注文したのだ。けれど彼は辛いカレーに挑戦したのだ。二口目は食べられなかった。その彼が誰だったのか。一緒にいた仲間が誰だったのか。そもそも仲間だったのか。友達だったのか。記憶がない。薄れているのではなく、欠落しているのだ。

能登麻美子という声優が好きだ。

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そのコロンと転がるような声が好きだ。魅力的なその声に惹かれることにはちゃんと理由があったのだということに最近気付いた。理由がちゃんとあったのだ。

ほんの少し春だ。桜はまだ咲かない。

命の電話

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そんな大袈裟なものではない。だけれども、僕の携帯に電話をかけてくるのは彼だけなのだ。絶妙のタイミングだ。本当にくだらないことをしゃべっているのだけれど。彼の電話があるから僕は生きている。なんて言わない。そんなことはない。今朝、ほんの少しだけ雪が積もった。地面の上ではなく。木の葉の上に申し訳なさそうに残っていた。太陽が高くなる前には消えてしまっていたけれど。寒い。

飲み会へ行くバスの中

僕は目一杯若作りして家を出たのだ。学校帰りの高校生たちがいっぱいのバスに乗り込んだ。バス待ちの列の一番最後に乗り込んだ。かわいい女子高生が声をかけた。僕はそれが自分に向かってかけられたモノだとは最初気付かなかった。彼女は僕に席を譲ってくれようとしたのだ。ショックだったのは彼女がかなりきれいな子だったからだ。僕は辛そうな年寄りなのだ。そう見られていたのだ。見られているのだ。

さらに混み合ってくるバスの中。僕は背中で彼女のことを考えていた。その表情を思っていた。その心情を思っていた。僕は吉野弘の古い詩を思い出していた。夕焼けという詩だ。

おっぱいみたいな、ゆずの湯

温泉に「ゆず」がプカプカ浮いていた。あれは「ゆず」ではないだろうでかい「ゆずもどき」もいくつか浮かんでいた。湯船におっぱいがたくさん浮かんでた。そんな風景だ。冬至だったのだ。