遠い国は相変わらず遠い

僕と僕らの経年劣化による精神と知能と身体の状態が、それに加えて世の中の空気の汚染状態が共謀して、懐かしい友人の再会を拒んだ。世界は狭くなったとはいえ遠い国は相変わらず遠いのだ。

眼の中にも結石ができることを知った。結膜結石という単語にはじめて出会った。診断即除去・・すぐに取り除いてくれた先生もまた名医だ。僕の先生方はみな名医だ。

彼とは、また会いたい。会うと思う。眼科医には毎月通っている。

八重洲ブックセンターが閉店すると聞きました。

八重洲ブックセンターは開店してまもなく行きました。ポールジョンソンの現代史はこの書店で買いました。

神田の2つの書泉も好きでした。書泉グランデと書泉ブックマートです。

書店がどんどん閉店していきます。鹿児島の書店も例外ではありません。本の時代は終わっているとネットの偉いさんたちがしたり顔で話しています。ぼくは決して聞こえない声で言います。だから君たちはダメなんだよと。

重陽の節句。今日も暑かったです。

ひとつきほどは視界を微少な虫が飛びます

濁りが消え,ちいさな文字もよく見える。視界と視力がもどった。本が読めるようになる。

anniversary・・友人たちがメールをくれるのがうれしい。30年,40年の時間を遡れる。歳をとったのだ。変わらないのは,自身の頭の幼さだけだ。身体:老人,脳みそ:中・高校生。

コロナ禍・・死にそうな友人は,まだ死んではいない。商売の話だ。仕事の話だ。死んでしまった友人の知人は,死んでしまったのだ。商売の話だ。仕事の話だ。

2年前には想像もしていなかったことだ。2年後のことは予想もできない。

もう長い時が流れました。

あれからも,震災と言える天災が何度も何度も起こりました。しかしながら,映像で知っていること,ニュースで流れている事件と,自分のエリアで起こったことでは明確に違います。自分の目で見た現場は記憶に染み込んでいます。記憶に刻み込まれています。家族が巻き込まれた地震には思い込みの深さが違います。

時が経てば,さらに大げさなものに作り上げてしまっているのかも知れません。匂いも音もしっかり覚えています。

阪神淡路大震災から長い時間が過ぎました。

そこではいろいろなことがありました。その時空にも場面にも,たくさんの物語があります。

東京の街並みを歩いていると

この建物は倒れてしまうのではないか。このビルは大丈夫だろうかと考えてしまったものだった。高速道路は倒れ,ビルはふたつに割れていた。娘の通っていた幼稚園の100mほど手前でバスが宙づりで止まっていた。幼稚園の庭で娘を待ちながら高村薫の新作を読んだのは,あの前年の秋だった。その幼稚園は建て直されることなく家の近くに移転した。オウムの事件と同じ年だったから,ずいぶん前のことだ。大変な冬だった。

あの日の駅前の風景は違っていた

新大阪から尼崎までの風景は普通だった。普通だったことが意外だった。普通すぎた。
何度も乗り降りした甲子園口駅を外に出たときの風景は数週間前とははっきり異なっていた。路上のアスファルトがゆがんでいた。崩れてしまった建物があり,なくなってしまった家があり,ゆがんだ建物があり,何の変化のないように見える建物があった。
風景は違っていたのだ。震災の直後のことだ。

シマ君と電話で話しました。

彼は今日,一日人間ドッグです,いいえ,人間ドックです。よく似た犬がいるような気がしますけれど,わんこではありません。

僕の不注意な発言を気にして,体調を気遣ってくれたのです。御父上の初盆の準備もあるのにです。彼はちょっとしたトラブルの最中でもあります。友人たちに助けを求めればいいのに,忠告に,今は耳を貸しません。まあ,以前から,ちょっとした頑固屋さんではあります。もうガンコじじいの年齢です。

夏の空はこんなだったかというような色です。別に意味はありません。

古い曲が流れていた

「なごり雪」だ。イルカの歌う方の「なごり雪」だ。

上野駅を思い浮かべた。冷たい季節の上野駅だ。絵にはならないはなしだ。

ホームに立っていたのは女の子じゃない。早朝の上野駅。列車の名前は何だったか覚えてもいない。彼は,あの朝,東京を離れて長野に帰ったのだ。

絵にならない風景。けれど,きらいではない。

思いがけない景色

近くを車で走ることはあっても,立ち止まった風景として眺めることはなかった。曖昧な記憶ではあるけれど,この広場・公園で中学の卒業式あるいは卒業式あとの何かがあったのだ。転入生で1年と4か月しか通わなかった日本一のマンモス校だ。

ながい時間が過ぎた。